
ジャンボ尾崎プロが2025年12月24日にS状結腸がんのため、78歳でお亡くなりになりました。
私が研修生をしていた頃は、まだ現役で活躍されていて憧れの選手の一人でした。
研修生はトーナメントの手伝いなどにも駆り出されるので実際にプレーをされている姿も見たことがあります。
当時は圧倒的な存在感と強さで、プレーだけでなく練習場でも注目の的で近くで見ると私ごときでもすごいオーラを感じ取れるような方でした。
今回の訃報を受け、ゴルフ界はもちろん私自身も時代の流れを感じます。
時が経てば時代が変わるのは必然だとは思いますが、私も研修生として過ごした日々を思い出し、その思いも重なり少し寂しく思います。
今回、恐縮ではありますが私なりにジャンボ尾崎プロについてお話させていただきます。
目に見えない功績
ジャンボ尾崎プロは男子ツアー94勝、その他含めて113勝、賞金王12回という圧倒的な結果を残しています。
元々はプロ野球選手という経歴を持つというのも有名な話です。
成績だけでも十分レジェンド級ですが、その他にもゴルフ界に与えた影響は多くあります。
クラブの進化
メタルドライバーへのシフト


ドライバーの素材と言えば現在では”チタン”ですが、以前はパーシモン(柿の木)で出来ていました。その中でもテーラーメイドからメタルドライバーが発売され、尾崎プロはそのメタルドライバーの可能性を見出し使っていたそうです。
当時、クラブの契約先であったブリヂストンも自社のメタルウッドを作ろうと開発が始まります。
それで誕生したのが「J′Sメタルドライバー」です。
このドライバーは欧米のプロ達の間でも話題になるほど完成度の高いクラブだったのです。
PS(ピッチングサンド)の登場


今ではウェッジを3本入れているのに違和感を持つ人はいないと思いますが、当時はSW (サンドウェッジ)とPW(ピッチングウェッジ)の2本が当たり前だったのです。
しかし、実際にプレーをすると「サンドでは短い、ピッチングでは大きい」というシチュエーションがよくあり、その中途半端な距離を埋めるために生まれたのがPS(ピッチングサンド)だったのです。
これも尾崎プロのアイディアだったそうです。
その後他のメーカーからもAW(アプローチウェッジ)が発売されて、この番手は当たり前のものになって行ったのです。
若手ゴルファーの育成

尾崎プロは若手の育成にも力を入れて原英莉花プロやメジャーに勝った西郷真央プロ・笹生優花プロ、年間女王となった佐久間朱莉プロなど多くのプロを指導してきました。
現在の女子ゴルフはかつてない程の人気で、試合数・賞金額も高く世界で活躍するプロを多く輩出しています。
当然それがすべて尾崎プロの功績というわけではないですが、女子プロ界のレベルアップに少なからず貢献した事は疑いのない事実だと思います。
次の時代へ
ジャンボ尾崎プロはゴルフの成績だけを見れば輝かしいものばかりですが、私生活ではゴルフ場運営や不動産投資などの事業が上手くいかず多額の借金を抱えたり、国内での成績に比べ海外ではなかなか成績を残せていないなどすべてが順風満帆だったわけではありません。
それでもジャンボ尾崎プロがゴルフ界に残した功績は消えるものではありません。
これからはジャンボ尾崎イズムを継いだ若いプロ達が新しい時代を築いていくのではないでしょうか?
最後にご冥福を祈ります。合掌。


